門 前 の 小 僧

 

<眼高手低>

「練習しないで上手くなる方法はありませんか?」。ある時、書文協中央審査委員長、加藤東陽先生に聞いてみました。不埒な質問でしたが、東陽先生が優しく教えくださいました。「眼高手低(がんこうしゅてい)という言葉がありますよ」。

本で調べると、眼高手低とは、目は肥えているが、実際の技能や能力は低いこと。つまり、口ばっかり、と言う意味です。門前の小僧で、聞こえてくるお経は覚えたけれど、実践が全く伴わない自分そのもの。悟りの境地などとてもとても。

しかし、東陽先生は谷口を揶揄するためにおっしゃられたのではありませんでした。書く技術はダメでも、書を見る目をしっかり養っていけば、世の中に書写書道を普及させるための役にたちます。それだけでなく、書く技術も少しは上向くのでは、という意味でこの言葉を教えてくださいました。

初めてまともに筆を握った年寄りです。手低は致し方ないとして、せめて眼高にはなりたい、と念じています。鑑賞教育というのは邪道だ、と思っていたことを反省しています。